飼っていた犬が死んだ。死んでしまった。
12歳のボーダーコリーで本当に本当に可愛くて、本当に本当に本当に大好きだった
中学生の時からずっと一緒だった。僕が家に帰ってくるといつだって尻尾を振って傍に来た。
僕が庭の段差に腰掛けると、必ず僕の隣に来て、足の上に頭を乗せるのだ。それがあの子の定位置だった。
ふさふさとしていて、手触りの良い愛犬を撫でながら、庭でぼーっと過ごすのが好きだった。
散歩の後、僕達は決まってそうしていた。暑い日も寒い日も、もう何年もそうやって過ごしていた。
二ヶ月前
様子がおかしくなったのは二ヶ月程前だった。
急に元気がなくなり、ご飯を食べなくなった。
様子を見ても一向に回復しないので病院にいったところ、「膵炎」という病気らしい。
膵液が膵臓内に逆流し、膵臓自体を消化することで生じる病気という事らしい。
簡単にいうと内蔵にダメージがあるのだ。
すぐに入院が決まった。
僕の犬は病院が大の苦手で、行き先を察するとまったくいう事を聞かなくなる。
いざ病院内に入っても、診察室に入るのを怖がり、待合室の椅子の下から出てこない程だ。
さっそく面会に行くと、僕のことには大して目もくれず、自動ドアの前から動かなくなってしまった。
帰れると思ってしまったらしい。
「早くよくなろうね」
と声をかけて、病院をあとにした。
毎日のように面会したが、愛犬の体は段々と細くなっていった。
ふさふさだった毛並みも、以前よりいくらか薄い。尻尾もなんだが随分細くなってしまった。
点滴のために毛を刈った前足が、随分痛々しく見えた。
病院でもご飯をちゃんと食べていないらしい。点滴等で最低限の栄養補給はしているが、それでは退院した後に困ってしまう。
始めは3日程で退院出来る予定だったが、1週間に長引いた。
母の呼び出し
ある日、母親が病院に呼ばれた。こういった事を言われたらしい。
「これから使う薬のレベルを1つ上げる。それは今ある中でもっとも強い薬。
そして、もしもこの薬でも症状が改善しない場合、手術が必要になる。
しかし、今の衰弱している状態では、手術のための全身麻酔に体が耐えられないかもしれない。
それでも、効かなかった時、手術をしますか? 連れて帰りますか?」
そんな事言われても、直る可能性もあるならば、それに賭けるしかない。
母親は「お願いします」とだけ答えた。面会してきた愛犬は、目も合わせずにブルブルと震えていたらしい。
母親は僕に
「あの様子では、ダメかも知れない」
と言った。
その話を聞いた僕は部屋で一人泣き、その「強い薬」が効くことをひたすらに願った
願いは届いた
薬は効いた。
犬はすぐに元気をいくらか取り戻し、数日のうちに退院する事になった。
しかし大量の薬を渡され、週に1回は病院に連れてくるように、という事だった。
そして、僕が何よりショックだったのは
「食事はどういうモノを上げたら良いですか?」
という質問に対しての
「食べられるなら何でもあげてください」
という回答だった。
それはつまり、長期的な健康を考える必要はないと、そういう事なのだ。
それはつまり、そういう事なのだ。
帰って来た
薬は1回で7錠もあり、支持されたとおりにドッグフードと混ぜながらスリバチで擦り、注射器のようなものに入れて、口の中に直接飲ませていた。
しかし明らかにおいしくないのかとても嫌がる。吐き出してしまうこともあった。
家に帰って2日目にして注射器を見ると犬小屋に隠れるようになってしまった。
毎日何とかあの手この手で飲ませていた。
そして犬の様子はというと、入院前と比べて明らかに元気がなかった。
大好きなご飯にもあまり興味を示さないし、以前のように僕に飛びついてくることもなかった。
それどころか力なく寝転がっている事が多く、歩くときは足が震えて、ふらついてしまう。
そして噛む力が弱いのか、以前まであげていたビスケット等も噛み切れずに落としてしまう
そして再び拾うのだが、やはり落とす。そのうち諦めてしまう。
以前までなら「おやつが欲しい!」と吠えるような場面でも一切吠えない。元気がないのは明らかだった。
医者の言葉が蘇る
「食べられるなら、何でも与えてください」
……それなら、食べられるものを探してやればいいんだ。
僕はペットショップに行って、体に良さそうな事が書いてある柔らかそうな「犬のおやつ」を片っ端から買いあさった。
その中の1つ、犬用ミルクボーロ。国産で無添加で何か色々こだわってるらしく、1袋600円もする。
それを犬の前に差し出すと、気だるそうにしばらく匂いを嗅いだ後、口に入れた。
やはり落としてしまうが、再度拾い上げると今度はしゃくっ、しっかり噛む音が聞こえた。そして、飲み込んだ。
犬が、こちらを見た。
欲しがっているみたいだった。
震える手で今度は2粒差し出すと、あっという間に食べた。
そして、こっちを見た。
鼻をすんすんとさせながら僕の手を舐める。もっとクレという事だ。
本当に嬉しくて、涙が出た。
そのボーロを初め、今まで買わなかったような、少し値の張るおやつやフードを与えると段々と自主的に食べるようになった。
何? もしかして食事がまずかったから食わなかったというだけなの?
ごめんね。お前が元気になるなら、僕がこれからいくらでも美味いものを食べさせてあげるからね。
1ヶ月前
それから1週間立つと、さらに色々なものを食べられるようになった。
そして、ついに「ワン!」と吠えるようになった。家に帰ってからは、ずっと吠えなかったのだ。
少し前なら「うるさい!」と怒っていた家族も、この時ばかりは「吠えたよ!」と喜んだ。
以前までと違い、歩くときにふらつく事もなくなった。
僕が仕事から帰ると、出迎えるようにもなった。
相変わらず薬は飲んでいたし、毛並みは悪いままだったが、入院前と遜色ない程元気になったように、そう思えた。
いつもの風景
ある休日、いつものように庭で腰掛けると、愛犬が擦り寄ってきた。
座った僕の足の上に頭を置く。夏も終わって、風が気持ちいい日だった。
もう二度と出来ないと思っていた「いつもの時間」を、もう一度過ごす事が出来た
それが本当に嬉しかった。
当日
退院から3週間、病院に連れて行き検査をすると、今まで問題だった数値が嘘のように下がっていた。
もちろん基準値よりは高かったが、これには獣医師も目を丸くした。
薬の量は半分になり、病院に連れてくるのも2週間に一回で良いと、そう言われた。
僕も家族も喜んだ。その夜も、たくさんご飯を食べた。
でもその翌日、愛犬は死んだ。
朝、明らかに様子はおかしかった。
食事を欲しがらないのだ。
「昨日食べ過ぎたからかな?」
何て言って、でも昨日見てもらったばかりだし、「夜になってもおかしかったら病院に連れて行こう」という事になった。
僕が仕事から帰ってくると、朝と同じように丸くなっていた。名前を呼んでも反応しない。
僕が目の前に行くと、目線を合わせて少しだけ尻尾を振った。少し安心した。
でも、犬小屋の中には吐いた形跡があった。血の気が引いた。
とにかく犬を室内に入れることにした。退院後からはずっと、夕方から翌朝までは家の玄関で過ごしている。
玄関にシーツ等を引いてから鎖を外してやると、ガクガクと震えながら立ち上がり、ふらふらと玄関に入っていった。
その様子に不安を覚えながらも、「自力で歩けた」事に少し安心をした。それすら無理だった時期もあったのだ。
体を投げ出すように座り込む。
顎の辺りが自分の吐瀉物で汚れてしまっていたので、それを綺麗にしてやる。
水を近づけるが飲まない。大好きなおやつも例のボーロも匂いだけ嗅いで食べようとしない。
様子を見ていると、何度かふらふらと立ち上がっては場所を変えて座っている。
心配になって近づいたところで、その体が力無く、ガクっと倒れた。
息はしている。しかし目は焦点があっていない。ショックだった。
丁度そのとき父親が帰ってきたので、急いで病院へ行くことにした。
通っている動物病院に電話をする。
「営業時間を越えますので特別料金が発生しますがよろしいですか?」
という質問に、勝手ながら腹が立った。
病院
父が車を運転し、僕が犬を抱きかかえて後部座席に座った。
犬は体のどこにも力が入っていなくて、だらんと手足を投げ出していた。
元気はないが、息はしている。抱いている僕には呼吸で上下する体をしっかりと感じ取る事が出来た。
やけに信号に引っかかっている気がする。犬の体を撫でながら、1秒でも早く到着するように、暗い車内で祈った。
病院につくと、すぐに処置が始まる。待合室で検査結果を聞くと、正直よく覚えてないが、とにかく悪い結果だった。
昨日は良かったのに、何で。と言いたくてたまらなかった。
そして、医師は言った。
「まだ、可能性はあります。しかし、情況はあまり良くありません。
このままこちらに置いて処置をしますか? それとも連れて帰りますか?」
そんなの、生き残る可能性があるのならそちらに賭けるしかない。
僕と父は犬を置いて、帰ることにした。
最後に顔を見に行った。
口には呼吸器、心臓にはAEDのようなものをつけられていて、目は虚ろで、何とも痛ましい姿だった。
ショックだった。
頭を撫でても反応は無かったが、泣かないように「頑張るんだよ」とだけ小さく言って、病院を後にした。
それが僕の見た、愛犬の最後の姿だった。
愛犬の死
翌朝、医者からの連絡は無かったので、僕はいつも通り出社した。
しかし、午前の休憩時間、母からのメールがあった。
「○○が死んじゃったよ。明日は友引で斎場が休みだから、今から連れて行きます。」
全身から力が抜けてしまった。
悲しみが溢れてくるが、職場で泣くわけにはいかない。決して嗚咽を漏らさないようにしていても涙は出てきてしまう。
ぬぐってもぬぐってもどうしようもないのでトイレに避難した。
狭い個室で10分程、声を出さないようにして泣いた。
本当はすぐにでも帰りたかった。最後に一目見てあげたかった。
しかし、大事な仕事の最中でそれも出来なかった。
とにかく、そのことを考えないようにして仕事をした。
不意打ちで少しでも考えると涙が溢れてきてしまう。しかし、何とか考えないように蓋をする。無理矢理する。
僕だってもう、いい大人なのだ。
午前中こそ大変だったが、午後にはなんとか仕事ができるようになっていた。
定時で切り上げ、急いで家に帰る。
駐車場に行き、車のドアを閉じた途端、「もう我慢しなくて良いんだ」と思うと、さっきまで蓋をして閉じ込めていた感情が一気に溢れ出てきた。
大の大人が1人で声をあげて泣いた。喉が痛い。
僕は簡単に泣くタイプではないのだが、この時ばかりはどうしようもなかった。
何とか運転して家に辿り着く。
車を降りても、今まで一番に飛んで来ていた出迎えはない。
いつもの彼のスペースには、今までと同じように餌入れがあって、
犬小屋があって、
でも、中を覗いても誰も居なくて、
それでまた泣けてしまった。
何とか落ち着いてから家の扉を開ける。
両親が先に帰っているときには、犬が先に玄関に居ることもあって擦り寄ってきていた。
もちろんその姿は無い。
母親に話を聞いた。
「あの後、夜の12時頃にそのまま死んでしまったらしい」
「明日は斎場はやっていなくて、明後日となると、氷等を使っても匂い等が出てきてしまう」
「もう年だし、どうしようもなかったと思う」
こんな内容だったけど、僕は「うん」としか言えなかった。本当は色々喋りたかったけど、声を出そうとすると先に涙が出てきてしまうのだ。
1人早足で部屋に戻った。
そして、また声をあげて泣いた。
布団に口を押さえつけながら、ただ泣いた。
最後を見てあげれなかった。
見てあげたかった。
昨日、病院から連れて帰ってあげたほうが良かったんじゃないか。
嫌いな病院なんかよりも、大好きな家で、僕達に看取られた方が良かったんじゃないか。
最後の最後に置いていかれたと、もしかしたらそう思ったんじゃないか。
もっと撫でてあげたかった。
もっとおいしいものを食べさせてあげたかった。
もっと一緒の時間を過ごしたかった。
もっと一緒にいたかった。
もしも僕があの日、もっと早く帰っていたら結果は違ったんじゃないだろうか。
もしも僕があの日、会社を休んででも、すぐに病院に連れて行けば、もっと長く生きることが出来たのではないだろうか。
でももう会えないんだ。もう会えないんだ。もう会えない……。
考えれば考えるほど、後悔と涙が止まらない。
悪いほう悪いほうに向かっていると思い、これはダメだと外にでた。
いつものように、庭に腰掛ける。もちろん大好きな愛犬はいない。振り返っても犬小屋がただあるだけ。
太ももに感じていた心地よい重みを、心地よいさわり心地を、感じることは二度とない。
その事実に、結局泣けてしまう。
でも、ふと思った事がある。
僕の愛犬は最後の1週間、今までよりもきっと、おいしいモノをたくさん食べて過ごした。
少なくとも外見上は、元気いっぱいに、入院前と変わらずに過ごした。
いっぱい撫でられ、いっぱい愛された、いっぱい抱きしめられた。
もう二度と叶う事はないと思った「いつもの時間」を一緒に過ごした。
出来過ぎだ。
一度医師まで諦めかけたような、そんな状態から、こんな風な事があるだろうか。
バカにされてしまうかもしれないが、僕はこれは一種の奇跡のようなものではないかと、そう思っている。
この1週間は、僕達にやり残しがないように、誰かが与えてくれた、そんな時間なんじゃないかと、そう思っている。
そして、その期間を満喫した僕達は幸せだったんじゃないかと、そう思っている。
現実逃避のような考えかもしれないけど、そう思っている。
そう考えると、少しは前向きになれる。
愛犬が死んでしまっても、明日だって、僕は会社に行かなければならない。やらなければいけない事がある。
いつまでも凹んでいるわけにはいかない。
復活して、自らに折り合いをつけるために、今僕はこの文章を書いている。
誰にも言えない、誰にも話せない。家族にも恋人にも親友にも、誰にも話したくない。第一、こんな話をされても困ってしまうと思う。
でも、吐き出さずにはいられないから、ここに書いている。全部を吐き出してしまわないといつまでもうじうじしてしまいそうだから、ここに書いている。
全部、吐き出している。かれこれ二時間はこの文章に向かっている
感情に任せて書き殴っている。
もしもここまで読んでくれた人がいたら、僕のただの復活の儀式につき合わせてしまって申し訳ない
虹の橋
ペットロスに関して、まだ愛犬が元気だった頃に調べたことがある。
その中に、虹の橋という作者不明の詩があった。引用する。
天国のちょっと手前に
虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、
動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。豊富な食べ物に水、お日様の光があり、
動物たちは暖かく心地よく過ごします。病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
彼らは一緒に走ったり遊んだりしています。しかし、
ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、
身体はしきりに震え出します。突然、彼は群れから離れ、緑の草を速く、速く飛び越えて行きます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びにあなたは抱き合います。
そして二度と離れることはありません。幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。それから、あなたは虹の橋を一緒に渡って行くのです。
ペットロスで悲しむ人を、慰めるためのものなのかもしれない。
詭弁かもしれないし、
適当なものかもしれないし、
嘘っぱちかもしれない。
でも、信じたいと思う。
僕は正直言って
神様も
仏様も
幽霊も
超能力も
信じちゃいないけど、
「虹の橋」
だけは、信じたいと思う
いつか、虹の橋でもう一度、彼に会いたい
悲しすぎて最後まで読むの辛かった…
家族が旅立ってしまったのは、悲しいけど頑張ってくださいね。
応援してます。
すっごくきれいな目をしたワンちゃんですね。
愛されて育ったのが伝わってきます。
退院して、大好きなおうちに帰って、大好きな家族や大好きなヒトデさんと過ごせたことが、嬉しかったから、心も体も、奇跡的に元気になったのでしょうね、きっと。
虹の橋で、楽しくかけまわりながら、ヒトデさんに会えるのを待ってますよ!
幸せだったワンちゃん、ヒトデさんのとこの家族になれて、よかった(;_;)
記事最後まで読みましたよ。ウチも先月の17日に12歳の誕生日前に亡くなったのでとても気持ちが分かります。私達に出来ることはずっとワンちゃんを忘れないであげることかなと思います。
7月に愛猫を亡くしました。同じように今もあの時こうしていればああしていればと後悔し、兄妹猫の妹猫に一人にしてしまって申し訳なく思ってます。毎日が悲しくて自分がひどくダメな人間で動物を飼うに値しない人間であると思ってます。
虹の橋の話を読んで少しだけ希望がもてました。自分が死んだら会えるんだなって…。
今はとてもつらいと思いますが、いつか虹の橋で会える事を夢見て、今は亡き大事な存在の楽しい想い出を大切にしていきましょう。
まったく僕も同じです。
10年前に愛犬をなくし、誰にも話せずブログに書いた記憶がよみがえりました。
時間が解決すると誰もがいいますが、今の僕もそんな感じになってしまっていて少しさびしさを覚えました。
愛犬を思い出させてくれてありがとう。
僕も虹の橋
信じてます
ガジェット研究会 (id:reonaworks)さん
ありがとうございます。立ち直っていきます!
>>るるるさん
虹の橋、信じています
そう言って頂けると嬉しいです。ありがとうございます
>>名無しさん
お互いに辛いものがありますね。
忘れずにいきたいです。
猫福餅 さん
虹の橋は本当に救いになりますね。
本当に忘れずに生きていきたいです
通りすがり さん
こんな記事でも誰かの役に立ったのなら嬉しいです
こちらこそありがとうございます
にこさん
素晴らしい話です。虹の橋
ペットロスで悲しんでいる人達に是非教えてあげたいです
我が家の犬は2年前心臓病で死にました。亡くなってからも亡骸を私はずっと抱っこしていました。その時娘が虹の橋の話をしてくれました。そこで亡くなった犬は幸せに暮らしていて私たち家族を待っていてくれる、それをずっと信じています。きっとヒトデさんの愛犬もそこに今はいるに違いありません。今は苦痛もなく、美味しいものを食べて、楽しそうに遊んでる...そして、ヒトデさんと会える日を心待ちにしているのでしょう。
深い喪失感お察しします。
僕の家も10年前に愛猫を亡くしました。
猫とはいえ、大事な家族の一員だったので、僕と嫁の人生の中で一番悲しい出来事になりました。
当時は共働きで、日中は二人とも留守にしていましたが、丁度僕がフリーになったばかりで、亡くなってしまう前の3ヶ月間、
朝から晩までそばにいてあげる事ができました。
僕もヒトデさんの様に、あの日々は誰かが用意してくれたものだと思っています。
悲しみから脱するには、少し時間が必要かもしれませんが、きっと前を向けるように、愛犬が側で見守ってくれていると思います。
KOROKO (id:gkoroko)さん
ありがとうございます。泣きそうです。
本当に虹の橋の話は偉大ですね。信じたいと思います。
NOBO (id:rise_more)さん
本当に家族も当然ですもんね。
凹んでばかりもいられないので前をむいて行こうと思います
愛犬が死んでもうすぐ3年です。いい大人だし子供も小さいから普段の生活をしなきゃいけなかったけど、3カ月くらいは毎日夜泣いてましたね。自分のためだけに生きてくれた友達であり、子供であり、親でした。
思い返してみて、ひとつだけしてあげられたことは犬より先に死ななかったことです。寿命が違うのだから当たり前かもしれないけど、もし先に死んでしまったら、自分以上に辛い思いをしたでしょう。いつかまた会えると信じてます。
アズ (id:us_azu)さん
お互いに辛いですね
虹の橋を信じましょう
うちの愛犬が死んだときを思い出して、涙、涙です。
と、同時にヒトデさんの愛情深い人柄にほれぼれ~
しそうです。おもしろいだけじゃなかったんですね。
id:ninebellepapiさん
意外なところで評価が上がっていたw
泣きました。
いま、共に2歳数ヶ月のネコ2匹と暮らしています。遅かれ早かれ彼女たちとの別れがやってきます。それまでの時間を毎日、毎分大切にしたい、改めてそのように感じさせられました。
ありがとうございました。
山下衛 さん
ありがとうございます
そういった気持ちになって頂けたなら幸いです。ネコちゃん大事にしてあげてください!
一年としばし前に死んだ猫のことを思い出してしまった…忘れたことはないけど…。
20年はあまりにも長すぎて、物心ついて以来、人生で最も泣いた日になった。
今でもガラケー時代の写真までスマホに入っていて時々眺めては寂しい気持ちになる。
ボケボケの動画にわずかに拾われた声を聴くと、会いたくてたまらなくなる。
もしもあの子がいなかったら、今でも鬱ニートのまま荒みきっていたかもしれない。
もしもあの子と、もっと前に死んでしまった犬がいなかったら家庭崩壊したかもしれない。
人間同士の関係だけでは保てない何かを、彼らは与えてくれる気がします。
ヒトデ祭りに泣かされる日が来るとは思わなかったなぁ。
猫がかわいくて大好きすぎて、もう飼える気がしなくて、つらいす。
うわ、思ったより長かった。すんません。
パラベル (id:parabell)さん
いえいえ
もう共感しかないです
僕ももう13歳くらいになるボーダーコリーを中学から飼ってるので、ヒトデさんと似たような感じだと思います。
今は仕事の関係で一人暮らしなので、全然会えてないのですが…。
一緒にいられる時間は無限じゃないんだという当たり前のことに、改めて気付かされました。
お礼を言うのも変かもしれませんが、ありがとうございました。
通りすがりさん
僕が言うまでも無いと思いますが、大事にしてあげてくださいね
そんなふうに思って頂けて僕も嬉しいです
こちらこそありがとうございました
ヒトデさんのワンちゃん、本当に家族に愛されて幸せだった事が伝わって来て涙、涙です。私も昨年12/27 M.ダックス 享年15才肺炎で亡くしました。ブログを読んで共感するところばかりでした。同じ気持ちだったことに、又涙、涙です。息が苦しそうだったので、かかりつけの病院に行ってレントゲン検査の結果は肺炎でした。。お薬を出しますので、又来てください。とのことでしたが、薬を飲んでも苦しそうで夜通し起きてました。私は朝の5時迄起きていて、明日は仕事なので少し寝ようと思い、その時これは入院させないと駄目だわと思い床につきました。が朝の7時に起きた時、息を引き取っていました。号泣しました。何故あの時レントゲン撮った時に入院させなかったのか、自責の念にかられました。その後は毎日の様に、犬の肺炎について調べました。そして色々とネットで検索していたら、このヒデトさんのブログに出合い、少し気持ちが救われました。同じ気持ち、涙をこらえて一人になった時、思いっきり泣きました。職場では見せられません。ずっと涙をこらえて仕事したこと。虹の橋も読みました。。ヒデトさんのブログ、まるで小説家が書いた様に引き込まれて読みました。そして又涙して、感動し又共感出来たことで 、私も少しづつ立ち直れたらと思っています。有り難うございまさした。
すみません。文章の中でヒトデさんが、いつの間にかヒデトさんになってしまいました。ごめんなさい…愛犬が他界して頭迄おかしくなってます…..
名無しさん
名前は気にしないでくださいw
そんな風に思ってもらえたなら嬉しいです
そして辛かったですね。
お気持ちは痛いほどわかります。お互い少しずつ立ち直っていきましょう。
虹の橋で、いつか出会えるはずです
Message body
こんにちは。ヒトデ様の記事を拝見致しました。ヒトデ様のワンチャンはご家族に本当に愛されていたんだということが伝わりました。
私も2年前に家族を繋いでくれていた愛犬が心臓病で亡くなりました。ちょうどその頃別件でも辛いこともあり、心が空っぽになったようでした。まだ完全に立ち直った訳ではありませんが、前を向いていこうと思っていたところ、ヒトデ様の記事を拝見し、共感し、勇気づけられました。家族を喪った傷は治ることはないと思いますが、愛犬の為にも、そして自分の為にもこれから少しずつ前を向いていこうと思います。ありがとうございました。
チョビさん
ありがとうございます!
この記事が、少しでもそういったきっかけになるのは本当に嬉しいです
お互い、少しずつ前を向いていきましょう
半年前の記事にコメントをつけることで、ヒトデさんの傷跡に触れることにならないか一抹の不安を感じつつも失礼します。
私もつい先日、2016年4月3日に7歳のボーダーコリーを癌で亡くしました
この記事を読んで、癌が発覚した時、闘病中、臨終の際、そして今の私の気持ちを代弁してくれているように感じました。
そして不思議と少し気分が楽になりました。
ありがとうございます
願わくば、虹の橋でヒトデさんのワンちゃんとうちのが、猛ダッシュしながら楽しく過ごしていますよう
本日愛犬のタロ死にました!15年行きました!実家で飼っていたのですが、現在私は、結婚して離れて暮らしているのですが辛いです。昨日たまたま実家によって可愛がってきたところです。私が帰ったあと体調がおかしくなり、14時間後に亡くなりました!タロ今まででの最高な時をありがとう!
ライカンさん
お辛いですね。そういう風に言っていただけると助かります
是非うちの愛犬と遊んでくれると嬉しいです
谷口さん
お辛いですね
最高なときをありがとう! と言って送り出してあげることが出来るのはとても立派です
きっとタロも安心して虹の橋にいけると想います
初めまして。ネットをぷら~っと見ていたらこちらのブログにたどりつきました。明日、愛犬を亡くして1ヶ月になります。17歳と9ヶ月。とても長生きしてくれました。私は最後を看取ることもできました。でも、やっぱり毎日寂しくてたまりません( ˊᵕˋ ;)私にとって小学1年生の時からずっと一緒にすごしてる可愛い可愛い兄弟です。そんな愛犬が朝起きても、仕事から帰ってきてもいつもの場所にいないのです…。未だに夢なのではないかとすら思ってしまいます。仕事中愛犬のことで頭がいっぱいになり帰ってから、何でおらんの?と写真を見ながら泣いてしまう日もあります。ダメダメな姉ちゃんで申し訳ない( ˊᵕˋ 😉
私の話を長々としてしまいすみません!ヒトデさんのブログを見て共感することばかりでつい色々と書いてしまいました。まだまだ心にぽっかりと穴が空いたままですが少しづつ前に進んでいきたいと思います。いつかまた虹の橋でであえますように…
こちらの記事を読んで、コメントをさせて頂いて心がスッと軽くなりました。ありがとうございます。素敵な記事に出会えてよかったです。長々と失礼しました。
こまりさん
良くわかります。辛いですよね
少しでも心の助けになったなら嬉しいです!
メールをくれた田中さんへ
メールアドレスがおかしいみたいです! 良かったらhitodenicoあっとgmail.comに直接連絡ください
最後まで読んで涙が出ました、それと同時に昨年私の目の前で突然息を引き取った飼い猫を想いました。
今でもたまに寂しくて悲しい気持ちになりますが、この日記を読んで私も少し虹の橋を信じて見たいと思いました。
何時か長生きした後、また皆に会えると良いですね。
R.Yさん
虹の橋はあると信じてやみません
こんにちは。
ウチには今13歳のボーダーコリーがいます。先週頃からご飯を食べなくなり、ぜぇぜぇしだしたので病院へ。老化からくる糖尿病と言われ、入院しました。
家族全員働いていて家にいないので、そのまま放置も可哀想だと判断し、様態が少し良くなってからも、入院させ、夜に面会へいっていました。心なしか、愛犬は拗ねているようでした。入院も2週間目に入りましたが、容態は良くならず、歩くこともできなくなり、獣医さんとの相談の末、死ぬ時は家の方が犬も嬉しかろうと判断し、連れて帰りました。
あんなに弱って見えた愛犬ですが、家に帰ってきたら、ケロッとしていて、ご飯もバグバク食べています。いま、隣でオムツをしながら寝ています。
一昨年、14歳のトイプードルを亡くし、先月父が急死し、今ボーダーコリーが亡くなると、精神的にも参ります。
いつか死はやってくるとはわかっていますが、考えるだけで辛いですね。
形があるときは24時間いつも会うことは難しいけど、形がなくなった今は、会いたいときにいつでも会えると思って過ごしています。
きっと貴方のワンちゃんも、いつでも側で見守ってくれていると思います。。
タラさん
お辛いですね。
そんな中いたわりの言葉をありがとうございます。
かけがえの無い時間を、是非存分に過ごしてください。
昨日、愛犬が車に引かれたことが原因で亡くなりました。本当に辛くて死ぬほど泣きました。家の玄関を開けるといつもうるさく吠える彼がいないのが本当に辛くて、今までいたばしょに君がいないのが辛くて、こんなに悲しいのかと思うくらいキツいです。
でも今まで死ぬのが怖かったですが、あいつに会えると思うと、怖くなくなりました。死にたいというわけではありません。それがすべてではないですが、彼が教えてくれたことの一つだと思います。
虹の橋、すぐ行くから待ってて。
私の犬は心臓病ですが、状況がとても似ていて
読んでいて涙がとまりませんでした。
今私の犬は食欲も全くなく、大好きだったおやつも食べれず
歩くのもやっとです。
今日は苦しそうに咳をしています。
もうダメかもしれません。
そう思ってしまう自分が嫌です
元気になってほしい。生きてほしい。
そう思う反面、苦しまないで行ってほしい。。
それが、願いです。
いつも朝起きると、犬のところに行くのが怖いです。
ちゃんと息をしてるのか確かめるのが怖いです。
悪い想像しかできなくて。
生きてほしい
1年前に愛犬を亡くしました。
ヒトデさんの愛犬と同じように内蔵の病気で苦しんで逝きました。
助からないなら安楽死させればよかった、もっと早く病気に気づいていれば、と後悔と申し訳なさがずっと心にあります。
最期にじっと私を見た目も別れを告げていたと何故気づかなかったのか。
でもヒトデさんと同じように、誰にも胸の内は話せません。「いつまでも悲しんでいるとわんちゃんが成仏出来ないよ」とか心配するふりをして早く普通に笑って話をしたいだけの人達にそんな悲しみを理解できるわけありませんし。
家族が新しい犬を買って来ましたが、今度は同じ後悔をしないよう、毎日を大事に犬と出来るだけ一緒に過ごしています。
でも1日も前の愛犬を忘れたことはありません。
ちなみにウチにはヒトデさんよりいくつか年下の息子がいますが、普段クールな彼もかなりショックだったようなのは意外でした。
きっとヒトデさんのような心の内なのでしょう。
動物を飼うっていうことは命を預かるということですね。
飼い主を待っている犬が沢山いるという事実もあり、私は元気な限り、寄附と同時に犬を飼い続けるつもりです。
そしていつか私が逝ったら、愛犬が待っててくれると信じています。
私と同じ痛みをいつも軽快な語り口のヒトデさんが感じていることにビックリしました。
大切な心の内を書いてくれてありがとうございます。
これからも応援しています。
私も大好きな大好きな愛犬がいます。辛いときに唯一いてくれた子です。まだ5才ですが、自分の事のように感じ、涙がポロポロ出てきました。生きている間にたくさん愛を注いであげたいと改めて思いました。
ヒトデさんのブログに初めて来ました。
私も犬を飼っています。
いつかは、生涯を閉じることがわかっていても考えると辛いです。
ブログを読んでいて泣けてきてしまいした。
これからも応援しています。
ヒトデさんのブログを見てブログ開設できました。
自分のブログ参考にと記事を読みました。
家に犬一匹、猫一匹居ます。母が欲しかったので飼ったのですが、母は実家に帰ってしまい今は僕が世話をしています。初めのうちわそんなに愛着は無かったのですっが、世話をするようになり愛着が湧いてきました。記事を読みペットとの時間をもっと大切にしようと決めました。
僕の家にもボーダーコリーが一匹います。もう15歳になります。
ヨボヨボです。もう近いと思います。
なので覚悟を決めてます。
ヒトデさんをYouTubeで見て、ブログ開設しました。
いつもお世話になっております。応援しております。
私も今までに愛犬家として何頭もの犬と過ごしてきました。
ヒトデさんの様に病院で最期を迎えさせてしまった経験もありどうして家に連れ帰らなかったのかと後悔の念でいっぱいでした。恥ずかしながら読んでて涙で声が出そうでした。虹の橋、私もあると信じてます。
ヒトデさんの優しさ、哀しさ、善さが伝わり、自身の経験に重なって涙が止まんなくなってます。どーしてくれるんですか^^私も虹の橋だけは信じています。いつの日か逢いに行って、有難うとごめんねを声でなくなるまで伝えるつもりです。
うちの富士丸も病院で死にました。預けて帰ったことをほんとうに後悔しています。「その時はそれが最善と思ったのだから仕方ない」とか言ってもらっても、悔しさと後悔は止まりません。同じ思いの方がおられると知り、また涙が止まりません。
でも、書いてくださってありがとうございます。
「虹の橋」、私も信じます。