ヒカルの碁を見て囲碁を学び
のだめカンタービレを読んでピアノを練習し
BECKを読んでギターを弾き
スラムダンクを読んで友達とバスケをし
テニスの王子様を読んでテニスをする
あと友達にこれやらない? とか言われるとホイホイやっちゃいます
ボルタリングとかすっげー楽しかったし
テレビゲームやらカードゲームやらもそんな感じでハマりましたね
あとは単純に自分で興味を持って一人でやり始めるパターンもありますね
突然小説書いてみたり、前の記事みたいに突然ブレイクダンスを試みてみたり
何か狙いがあったとか、そういうのはマジで一切なくて、何か面白そうだから始めました。ただ、ブログに関しては他のと比べて結構深くハマり混んでますね。て言ってもまだ1年もやってませんが
まあどれもまるで極めてなくて死ぬほど中途半端なんですけど、ピアノとか練習したとか言ってる癖に1mmも弾けないんですけど(5日くらいで投げ出した)それはそれで楽しいですよね
何でかって言うと、この手の事ってある程度よりも上のレベルに到達するには必ず「苦痛」 が伴うんですよ。その「苦痛」よりも、楽しさだったり、向上心が上回ってれば屁でもないんですけど、僕みたいなミーハーはその「苦痛」が見えてくると「やーめた」 って逃げちゃうんですね
例えばスポーツだと、遊びで友達と公園でサッカーやらバスケやらやるのは楽しいけど、部活ともなると走り込みだったり、基礎の反復練習が必要になってくるじゃないですか
練習をするにしても、シュートの練習は楽しいけど、ディフェンスやフットワークの練習もしないと勝てないじゃないですか。そりゃ桜木だって「シュートの練習は楽しかった」とかナレーションされてたけどさ
そんで、その部分ってやっぱりそんなに面白くないんですよ。それでもやっぱり「勝ちたい」と思うなら絶対に外せない事何で、「本気で取り組む」場合には逃げられないんですね
つまり、僕は「本気で取り組む」事から逃げ回りつつ、うわべ的な楽しい部分を楽しんでは次! はい次! はい次! と色々楽しんでいるわけです
ただ
これが最高! 深くやり込む奴はアホ! コスパ悪っ!
とかそういう話ではありません
何故なら、その競技や種目の
「本当の楽しさ」を知るためには先程出てきた「本気で取り組む」必要がある
からです
その種目の事を理解している人同士の方が間違いなく楽しいんです
ボールに群がるサッカーも楽しいけど、しっかり作戦やフォーメーション何かを組み立てて、ここが空いたらこう動く、このパターンはこう対応する、そういった事が染みついた、素人がちょっとやったくらいじゃ絶対に出来ないレベルの攻防があります
演奏もそう。適当にやってもそれなりに弾けるようにはなるし、楽しいけど、いざ人前で弾く時に、観客を唸らせるためにはそれ相応のスキルが必要です。そして、それは地道な反復練習が無ければ成し得る事は出来ません
ゲームにしたってそうです。特に対戦ゲームはそうですね。この辺は前に記事にしました
まあそこまで知らなくても、一種の「セオリー」みたいなものを知っているとその競技の楽しさはグッと深まりますね。多少労力が必要になりますが、少し深いところまで覗いてみるのも楽しいと思います
(そしてこれをやり出すと、分かっていてるのに実際に体が動かない!→くそ、基礎からやらなきゃ!→地道に練習! というガチ勢精製ルートになりまーす)
そして、カジュアルに楽しむのは自由ですが、本気でやってる人をバカにしてはいけません。「何をそんな必死に」と思うかもしれませんが
もちろん逆もまた然りで、本気でやっている人はカジュアルに楽しんでいる人を見下したり、本気でヤル事を強要してはいけません。 誰もがその地道な練習を乗り越えられるわけじゃありません
もちろん下手だけど、大変でも良いから上手くなりたい! と言っている人に厳しく指導をするのは良い事だと思います
話が逸れましたが、何をするにしてもこういったレベルになるにはそれなりの努力が必要で、やっぱり大変です
色々な事を同時に極める事は難しいです
というわけで、何でも広く浅くやってみて、その中で続いてきたものを深く掘り下げていく というのはどうでしょう
色々な事をやっていると「これはいくらでもやりたい」「多少苦しくてももっと上達したい」と思えるようなモノが必ずあります